2011年11月19日

東京駅経由

 今日の午前中に、東京駅経由で帰宅しました。
 知人と東京駅で待ち合わせをしてものを届ける用事があったのですが、朝、起きた時間が遅く、間に合いそうもなかったので、新横浜駅から新幹線を使いました。(新幹線代がもったいなかった…。)
 土曜の朝の横浜戦はすいていました。新幹線は「ひかり」のぞみでしたが、土曜日の朝でも混んでいますね。山手線は久しぶりに乗りましたが、土曜の朝だったのですいていました。
 高崎線は前橋駅までの列車だったので珍しく、高崎駅での乗り換えはなしです。上野駅では発車直前に乗りましたがすごくすいていました。
 前橋駅で降りて時間もあったので献血をしました。
 献血ルームは天気が悪かったのですが、献血に来ている人が多く1時間くらい待ちました。今年の冬は血液不足の心配はないかな…。
【横浜線】新横浜駅着 7:48
【東海道新幹線】新横浜駅発 5:56(ひかり)
【山手線】東京駅発 8:30
【高崎線】上野駅発 8:42
両毛線前橋駅発 12:21


【ニュースのコメント】
 100年以上前の肥薩線の開業当時の時刻表が、沿線の商店に保存されているという記事です。
 明治42年なので、今よりもおおらかで、列車の運行も今ほど時間通りというわけではなかったでしょうが、こういったものが大切に取っておかれたということは、当時から時刻表を頼りに鉄道を利用していたのでしょうね。
 貨物列車の時刻も記載されていたということは、今とは違い誰でも気軽に貨物で物の輸送を依頼できたからなのでしょうか…。

人吉に肥薩線101年前の時刻表が保管

 明治時代建造の鉄道施設が数多く残り、世界文化遺産登録に向けた運動が始まったJR肥薩線の全線開通当時の時刻表が、人吉市内の商店に保管されている。
 肥薩線は1909年(明治42年)11月、鹿児島線の一部として全線開通した。時刻表はその翌年の12月1日にダイヤが改正された時のもので、人吉駅発着の列車を記載。地元の運送会社が発行し、取引先の商店などに配られたという。旅客列車だけでなく、貨物列車も記載している。
 当時、人吉駅には上下各11本が停車していたが、旅客列車と貨物列車の本数は同じ上下各4本。残る上下各3本は旅客と貨物の混合列車で、開通当初の肥薩線は物資輸送に重点が置かれていたことが分かる。
 九州内の主な駅に加え、「新橋」「大阪」など山陽線と東海道線の主要駅までの運賃も載せている。
(2011年11月19日 読売新聞)


posted by 長流水 at 13:51| 群馬 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。