2010年09月17日

車掌室

 今日もいつもの列車に乗りました。弱冷房車だったからか、空調がほとんど動いておらず、晴れていて混んでいたので暑かったです。車掌室も日が当たって暑いと思うんだけどなぁ…。
 今日の帰りは週末なので早い17時台の列車です。この列車はいつもですが、高崎駅で乗ったときは「空いているのかな…」と思うのですが、出発直前に乗ってきた人が多かったです。(八高線からの乗り継ぎかな…。)

【今日の両毛線
往:高崎駅着  7:49
復:高崎駅発 17:47


【ニュースのコメント】
 小田原−熱海間を人力で動かしていた豆相人車鉄道の車両を復元したという記事です。
 今では考えられませんが人車鉄道というのは明治の終わりから昭和初期まで全国で30ヶ所以上あったようです。(人ではなく荷物を運搬するためのものも多かったようです。)
 豆相人車鉄道については『幻の人車鉄道―豆相人車の跡を行く』という本も出ているので興味のある人はどうぞ。
 また、こういった廃止された鉄道については宮脇俊三さんの『鉄道廃線跡を歩く』が参考になりますね。
  
 ちなみに群馬県では今の東武桐生線の太田−藪塚間がかつて人車鉄道で、高崎市の里見にもあったようです。


豆相人車:客車を復元

 明治時代に小田原−熱海間を人力で結んだ「豆相人車鉄道」の車体を、小田原市根府川の宿泊施設経営、内田昭光さんが復元した。レールに乗った6人定員の木製客車を3人の車夫が手押しで輸送したユニークな乗り物で、内田さんは「人車鉄道は根府川も通っており、地域の歴史伝承や活性化に役立てたい」と話している。
 同鉄道は東海道線が御殿場経由だった1896年に全線が開通した。温泉保養地だった熱海に行くには、人力車やかごに乗るか、歩くしかなかった。
 急な上り坂では乗客も車体を押し、脱線も多かったが、小田原から熱海まで上等1円、中等60銭、下等40銭で湯治客らに重宝された。開通からわずか10年で、蒸気動力の軽便鉄道にバトンタッチしたが、当時ならではのレトロな運行方式は地元で語り継がれ、路線跡も残っている。
(2010年9月17日 毎日新聞)


ラベル:廃線 八高線
posted by 長流水 at 18:43| 群馬 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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